晴れ、時々田舎暮らし

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<<   作成日時 : 2009/01/05 22:41   >>

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正月休みもあっという間に終わり、今日は仕事始め。また今年もがんばらなくっちゃと一応心を引き締めつつ…

靖国神社初詣で始まり、2日は箱根駅伝は次男の通っている東海大学、佐藤ゆうき君15人抜きを応援して、高校サッカーテレビ観戦。3日は長野に移動して4日は滋賀県まで法事のためドライブ、飯田・栗東・飯田・東京で約700km走破し、それなりに忙しい新年でした。

驚いたのが高校サッカーで、次男の1年下ですがジュニア時代のチームメートがなんと久我山に1人(9番石尾君)、鹿島に1人(9番忍穂井君…おしほい)と2人も出ていました。石尾君はジュニアユースでも一緒で、クレバーなプレーヤーとの印象があります。忍穂井君はジュニアの「東京都さわやか杯」のブロック準決勝、対ベルディJr戦途中出場でたぶん決勝点をあげたおぼろげな記憶があります。当時から得点感覚に優れていましたが、鹿島でもFWで大活躍で嬉しい限りです。ちなみに「おしほいくん」はいいにくいのか、皆「ほいほいくん」と呼んでいました(^^;
有望な選手は何人か見てきましたが全国大会に行くには運もあり、そうそう行けるものではありません。当時のコーチ・監督のTくんもさぞ嬉しいことでしょう。しかも2校ともベスト8入りでまだ残っていますから、まだまだ楽しめます。
そういえば我が母校(長野県)もラグビーが10年ぶりに全国大会に出場し、寄付金の要請も来ましたが忘れているうちに残念ながら負けていました(^^; が、選手の皆さんはよく花園まで頑張りました。寄付しなくてごめんなさいねm(___)m


で、4日は早朝6時前に出発。その時間外気温はなんと−8℃!フロントガラスの霜をお湯で溶かしたのですが、すぐに凍ってしまいました(^^;
明るくなってもなかなか気温は上がらずこの時期の信州の厳しさを痛感。。。。
関ヶ原付近に心配した雪もなくまた渋滞もなく、従兄弟と交代の運転で飯田・栗東往復約500kmは久々に親戚の人達と楽しい会話が交わせました。


さて栗東という土地柄ですが、旧宮家の久邇宮家(香淳皇后のご実家)の御料林を借り、戦後(農地解放で)農地として開拓したという歴史があり、天皇陛下に対する敬慕はひとかたならぬものがあるようです。お寺は天台宗とのことでしたが、お経の頭に○×のために△△経云々と前振る中に「天皇陛下のために△□経」という文言まで有りました。ところ変わればお経も変わるということでしょうか。。。。
また食事の時、前に座った上品なおばさまが沙沙貴神社の近くにお住まいとのことで、「10月15日は佐々木家の四つ目菱の家紋を付けた黒塗りの車が行列になる」とのことで、是非来て下さいとの有り難いお話もあり(笑)、おぢさんの佐々木姓発祥の地だけに親しみを感じずにはいられない土地柄なのでした。そのおば様は婆娑羅大名、佐々木道誉の名前まで語って大した知識です。
今では大きな農家が沢山あり、またJRAのトレセンもある開けた土地ですが、入植当時は相当皆さん苦労されたようで、その分地域の結束も感謝の気持ちも非常に強いものが感じられるのでした。


関西はいつも思うのですが歴史が身近で、京都なんぞは「先の戦争」というとなんと応仁の乱をさすらしく(笑)、歴史の深さを感じずにいられません。引き替え東京は高々徳川以降ですので400年程度。尤も源頼朝から見れば900年近いのですが…

面白かった説話は、お寺さんが寒い時に首に巻く白い輪になった布のうんちくをたれて、桓武天皇が最澄に袖をちぎって渡し、寒さをねぎらったことが始まりとか…名称は忘れましたが、本来頭に巻くものらしいのですが、頭に巻ける階級はかなり高いらしく、時代劇等で女性が出家して頭にそれをつけているのは史実的にいかがなものかとのことでした。

桓武天皇といえば794ウグイスヘイアンキョ〜ですから、これまた歴史を感じるお話です。
桓武平家は後に清和源氏と争いになり、敗れ去りますが源平の戦いは平家物語でご承知の通りですが、実は源氏だから源についたわけではなく本質は、次々と国主が天下ってくる不安定な関東武装農民(武士)の反乱であったわけで、実際頼朝の家臣は平家がほとんどです。特に北条はコテコテの平氏で、この時代清和源氏の新田・足利・千葉氏は頼朝にとってはむしろライバルです。
そんな中で近江源氏(宇田源氏)佐々木高綱は、当時近江の地領を奪われホームレス?状態で頼朝の元にはせ参じ、山木判官館襲撃の30〜40人に加わったのがご先祖様の晴れ舞台です(笑)
尤も、嵐の夜で佐々木兄弟は遅刻したらしいのですが…(爆)

その後近江の本家佐々木は何故か六角姓を名乗り、戦国時代浅井・六角で近江を二分していたわけです。

ご存じない方のためについでにいえば氏と姓は違っていて、天皇が子孫で苦労した時代があり、平安時代は側室を沢山囲い子供を沢山作りまして、さすがに経済的にきついので母親の身分の低い順に名字をあたえて民間に下らせた(臣籍降下)のが源・平(藤原・橘)で、皆同じ源とかで解らないため地名を冠したのが姓です。
「源の足利の尊氏」てな具合です。

さらにいえば徳川家康は本姓松平で、これは藤原氏の土豪のはずで、新田の末裔を名乗り源氏を手に入れたのは有名な話ですが、武士の統領(征夷大将軍)には清和源氏のブランドが必要だったということでしょう。記憶に新しいところでは大河ドラマでも徳川慶喜は勅書では「源慶喜」宛でしたね。でも徳川家の源氏は嘘です(笑)。島津も同じ手口らしいですけどね!(爆)
また北条政子の書簡は皆、平政子で残っています。

そんなこんな、厳しいスケジュールではありましたが色々と興味深い新年の栗東なのでした(^^v

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